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理  趣  経(1)
(りしゅきょう)


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理趣経はインド中期の密教経典で、金剛頂経の一種です。金剛頂経の第六会にあたり、般若経を基盤としています。
理趣経は真言宗の常用経典で、漢訳されているものが何種かありますが、現在使用されているものは、不空三蔵訳の『大楽金剛不空真実三昧耶経・般若波羅蜜多理趣品』(だいらくこんごうふくうしんじつさんまやきょう・はんにゃはらみたりしゅぼん)です。

理趣はサンスクリット語で[ナヤ]といい、連れて行く・引っ張っていく・導くものという意味で、理趣は正しい道筋ということです。正しい道筋とは悟りの境地へ到達する道筋のことなので般若理趣経、訳して理趣経といいます。
煩悩を真正面から取り扱い、煩悩を否定することなく、ありのままの姿で即身成仏できるというのです。

さて、題名の『大楽金剛不空真実三昧耶経』には、どんな意味があるのでしょうか。
大楽の『大』は、絶対という意味です。他と比べるような欲は、自分の欲望を満たしたいと限りなく湧いてくる。楽あれば苦ありというような裏があるものではなく、苦がないもの、掛け替えのないという意味です。
不空は空しからずという意味だそうで、三昧耶は悟りの境地です。
このことから、『金剛のような絶対的な楽しみを、必ず与えるという真実なる悟りの境地に至るお経』になると思います。


普通のお経は呉音読みなのですが、理趣経の読み方は漢音です。これは七世紀以後に唐の文化が入ってきました。唐の都は北にあり漢音中心の地域なので、日本にも漢音が入ってきました。
奈良時代の末に、漢字は漢音で読みなさいとという勅令が出たので、理趣経は漢音読みなのです。 例:金剛 漢音では[きんこう]  呉音[こんごう]   漢音では馴染みがないですね。

構成は、序文・正宗分(本文)・流通分(お経を読んだり書いたりしたら、どういう功徳があるかを説いている)

序  文 

【誰が何処で説いたか?】
毘盧遮那が、欲界の他化自在天の王宮で説きました。
衆生の住む世界を欲界・色界・無色界に分かれていて、欲界でも六つに分かれています。
欲 界  地獄道  八寒地獄・八熱地獄があり、生前の行いによって落ちる地獄が決められる。
      餓鬼道  ノドは針のように細く、何も食べる事ができない。
            もし、食べようとすると食べ物が火に変わってします。
      畜生道  欲望に支配され、理性がなく思うままに行動する世界。
      修羅道  いつも戦っており、安らぎのない世界。
      人 道  私たちの住んでいる世界。
      天 道  天人の住んでいる世界。しかし、寿命はある。
        天道も六つに分かれている。
         四大王衆天   魔を退治する四天王が住んでいる。
         刀利天(トウリテン)  三十三天ともいう。帝釈天が住んでいる。
         夜魔天(ヤマテン)  閻魔様が住んでいる。
         兜率天(トソツテン)  どうやって衆生を救おうかと、思案中の弥勒菩薩が住んでいる。
         化薬天(ケラクテン)  楽が多く、楽しい世界。
         他化自在天   他の天が作り出した娯楽を奪って、自在に受け楽しむ事ができる。

色 界  欲がなくなり、物質だけがある世界。欲を離れた禅定の世界で、禅定の境地を進む過程を表している。初禅天・第二禅天・第三禅天・第四禅天と四つの世界に分かれているが、第四禅天を色究竟天(シキクキョウテン)又は、阿迦尼ダ天(アカニダテン)ともいいます。究竟は究極の、無上の、最高のという意味で、色界の最上の世界ということです。

無色界  欲もなく、物質も超越した精神世界。四つに分かれている。

他化自在天は欲界の最上の世界で、そこで理趣経が毘盧遮那によって説かれています。
他化自在天の王宮である大摩尼殿は、網状に組まれた宝石、宝珠の環、半月や満月の鏡で飾られ、鈴、幡などがそよ風にユラユラ揺らいでいる素晴らしい世界なのです。

【誰に説いたか?】
八十億(無限という意味)の菩薩たちに取り囲まれ、毘盧遮那如来が説いているが、八人の聞き手の代表が出て聞いている形になっている。
金剛サッタ  金剛手菩薩・執金剛・金剛手秘密主・持金剛・普賢菩薩とも称される。
         菩提心を起こして、悟りを開こうと目的を持ち、最終的には仏になる。
愛金剛菩薩  自分がどうなっても人を救うという慈悲深い菩薩。
触金剛菩薩  何でも抱き取ってしまう包容力が大きい。真実世界の一切の功徳を身に付けている。
慢金剛菩薩  自分の目的をはっきり持っていて、揺らぐことがない。仏の教えにたがわないように心掛けている。
金剛焼香菩薩  智慧の剣で衆生の悩みを断ち切ってくれる。
金剛華菩薩   発心したと同時に真理の法を説くことができる。
金剛燈菩薩   人のために身を捨てて供養する。損得を考えずに奉仕をする。
金剛塗香菩薩  一切の魔を破る。


本  文

〔初  段〕
金剛サッタの悟りの総論。
大楽の法門は、この現実世界の真の姿全て清浄であることを17清浄句で示しています。
理趣経は『一切法の清浄の句の法門』であるということで、いわゆる男女の合体の清浄さを十七清浄句で現しています。

【十七清浄句】
愛欲に縛られ、その絆によって欲望の矢に心を射抜かれ、肉欲に耽り、愛憎の鎖に繋がれ、支配欲を増していく。これらは求道の妨げとなり退けられる。しかし、十七清浄句は清らかな菩薩の心を示したものなのだ。分けて観るから真実を観ることができない。十七清浄句を体得して、分け隔てなく観ることができたなら、すべて清らかであると確信に満ちていく。

この現実世界は全て実体がないので、聖(真理)と俗、本来は一体である。
この世界に存在するものは、全て本質として清浄であるということを17で表しています。
ここで説かれている男女の合体ということですが、これは金剛サッタの悟りそのもので、衆生界のあらゆる場所に現れて無限の大悲をもって、衆生に利益を与えるために休みなく活動している。自分と他人や自然を分け隔てることのない、同体観であるということを男女合体という喩えで表しているだけですので、それを念頭に置いて下さい。

総論で 『いわゆる妙適清浄の句、是れ 菩薩の位なり』とあります。
妙適はサンスクリット語で“スラタ”で、男女合体の喜びの事も言うので、男女の合体は清浄であり、これも菩薩の位であるという意味になります。本来は1つであるから、隔たりが全くなく平等であるということが清浄であるということです。

欲箭、清浄の句 是れ菩薩の位なり
箭は矢のことで、速く飛ぶ矢のように男女の欲望の起こるのも矢のように速い。男女の欲望が速く起こることも清浄であって、これは菩薩の位である。欲望の心があるからこそ、あらゆる苦難を乗り越えて真理の世界を求めていくことができ、やがて確信に満ちた行いとなる。

触、清浄の句 是れ菩薩の位なり
男女間で触れ合うことも清浄であって、これは菩薩の位である。

愛縛、清浄の句 是れ菩薩の位なり
お互いに結び付き合い、縛られたように離れたくなくなることも清浄であって、これは菩薩の位である。

一切自在主、清浄の句 是れ菩薩の位なり
男女が一体となり、世の中すべてを征服したような気になるのも清浄であって、これは菩薩の位である。

上記の4つ(2〜5)は、四菩薩(四親近菩薩)の悟りの境地を表しています。

6.見、清浄の句 是れ菩薩の位なり
欲箭と対応し、男女の欲望が起こったら見たいと思うのも清浄であって、これは菩薩の位である。

適悦、清浄の句 是れ菩薩の位なり
触に対応し、触れることによって起こる喜びは清浄であって、これは菩薩の位である。

愛、清浄の句 是れ菩薩の位なり
愛縛に対応し、お互いに離れがたく思う所から愛が生まれるのも清浄であって、これは菩薩の位である。

慢、清浄の句 是れ菩薩の位なり
一切自在主と対応し、一切のものを自由にした所から、全てのものを自由にしたと満足を得ることは、これも菩薩の位である。

上記(6〜9)は、内供養菩薩の悟りの境地を現しています。

10荘厳、清浄の句 是れ菩薩の位なり
欲望の矢によって見る。見ることで飾り立てることは、これも菩薩の位である。

11意滋沢(シイタク)、清浄の句 是れ菩薩の位なり
触れることで喜びを感じ、心が潤い豊になる、これも菩薩の位である。

12光明、清浄の句 是れ菩薩の位なり
愛によって光がさせてくる状態、これも菩薩の位である。

13身楽、清浄の句 是れ菩薩の位なり
体が楽になる、これも菩薩の位である。これは春の金剛・夏の金剛・秋の金剛・冬の金剛と四季に当てはめ、四つを一区切りとして対応していく心と体の働きを現している。

上記(10〜13)は、外供養菩薩の境地を現しています。

14色、清浄の句 是れ菩薩の位なり
形を見ることも菩薩の位である。

15声、清浄の句 是れ菩薩の位なり
声を聞く事も菩薩の位である。

16香、清浄の句 是れ菩薩の位なり
香を嗅ぐことも菩薩の位である。

17味、清浄の句 是れ菩薩の位なり
味わう事も菩薩の位である。

感覚の対象となる全てのものも清浄であるということです。


次に功徳について説かれています。
自分と他、自分と宇宙を区別することなく一体化させる道を開くことがあれば、理趣経を聞いて悟りを得る事ができたなら、四種の障りを積み重ねても地獄へは堕ちない。たとえ重罪を犯しても罪は消滅する。全体の中に自分を一体化させ、自然や他人の中に自分を溶け込ませて自他の区別をなくそう。自分と仏が一体となり壊れることのない境地を得る。全ての法において皆、自由になって全体に同化し、我(が)をなくして自由自在になりましょう。そうなれば心の喜びと歓喜を受けて、十六大菩薩の悟りの境地を得ることができる。という功徳です。差別をなくして、自分と他と仏は平等なのです。

初段最後…
一切如来は大乗の悟りを現す一切の曼荼羅の中で、金剛を持つものの中で特に勝れた菩薩である。一切の世界の中で、あらゆるものを全て調伏して、あらゆる利益を完成させた金剛手菩薩が、今まで説かれた如来の教えをもっとはっきりさせようと、微笑んで左手を拳にして腰に当てる印をした。右手はずっと真理と共にある大きな金剛杵を放り上げて、そういう勇ましい姿で絶対的な安楽で、決して壊れることのない悟りの一字真言をお説きになった。

一字真言というのは【フーン】という梵字で、『あ』から始まって『うん』で終わりますが、この『うん』がサンスクリット語でフーンと言います。金剛手菩薩が初段の教えを一字にまとめた真言で、それを説いているという構成になっています。


〔第 二 段〕 
悟りの智恵を示す。大楽の世界を見開く智恵が開かれる。

初段をもう少し具体的に示したもので、説く手は報身毘盧遮那です。
ここでの報身毘盧遮那は、行者が修行をして悟りを得た毘盧遮那と言われています。
毘盧遮那を四つの方面から説こうということが主になっていて、毘盧遮那が非常に静かな悟りの世界、真理をそのものの悟りを出生し、究極の悟りに至る教えを説いたということです。

四つの方面とは、毘盧遮那の四つの徳と智慧を現しています。
金剛平等は、無知の闇を破る働きは、大円鏡智で阿@如来の智慧。あらゆる欲望に勝つ心。真に自己に目覚めた人は、誘惑や迫害に屈せずに確固たる自分の道を歩む。
義平等は、自他の区別なく教化する奉仕の働きは、平等性智で宝生如来の智慧。真に自己に目覚めた人は、向上に励み、豊な心を育むだけでなく、人々にも心豊な無限の財宝を見出せる。生きとし生けるものは、掛け替えのない価値を持っていて、施しを受ける、受けられるという事で、仏も人間も平等であるということを示している。
法平等は無垢な心で世界の真相をよく観察し得るから、妙観察智で阿弥陀如来の智慧。真に自己に目覚めた人は、本性は清浄で無垢である。汚れた世界に生きているもの全てが、本来は清浄であることを示している。
一切業平等は、成所作智で不空成就如来の智慧。いつも分別をしていても本来は分けられない、同体であるということを示している。

上記が本論で、それが終わると…
毘盧遮那の四つの徳と智慧を聞いて、持っていたなら現世においてたくさんの重罪を犯しても、きっと一切の地獄を越えて、無上の絶対の悟りを身につけることが出来るという功徳が説かれています。

最後に毘盧遮那が、本性は自分も他も全て平等ということを一字真言でお説きになりました。


〔第 三 段〕
第三段〜第六段までは、毘盧遮那の四つの面を現しています。
第三段は阿@如来の悟りを説いていて、怒りというものを毘盧遮那如来が説いています。

金剛手菩薩が降三世明王となって煩悩を破り、欲望をコントロールする。お釈迦様が菩提樹の下に座り、悟りを得るために瞑想をしていたとき、悟りを開かれては困ると悪魔が修行の邪魔をしに来ました。お釈迦様は降魔印でもって悪魔を退散させました。その時の精神が阿@如来の精神と同じです。、阿@如来は大毘盧遮那の浄菩提心の徳を現しており、この世界を開く人を金剛手ともいい、激しい怒りでもって、真実の自己を完成させる為の闘いということです。

代表的な魔には四つあり、心身を苦しめる煩悩魔(ぼんのうま)、苦しみを起こさせる色・受・想・行・識の魔で陰魔(おんま)、死をもたらす死魔(しま)、他化自在天に住み、人の善を妨げようとする天魔(てんま)で、阿@如来はこれらの悪魔を降魔印でやっつけました。
一切の法は、平等であるという真理を悟って、悪魔を降伏させるという教えです。自分自身の煩悩をやっつけるという意味になるでしょう。
普通、欲は持ってはいけないもので、離れろと言われますが、理趣経はそうではなく『欲を持つなら、次元を超えた大きなものにしなさい』と言っています。つまり怒りも自分もためではなく、他人のため、世界のために怒りなさいと説いています。


〔第 四 段〕
金剛語菩薩(観音様)の悟りの境地を説いています。
汚れた世の中で清らかさを保つには、自他を超え真理を得る。みな平等であるということを自在に観察する知恵を表している。
汚れの原因は八つあって、【世間一切の欲・世間一切の怒り・世間一切の愚かさ・世間一切の罪・世間一切の法・世間一切の生きとし生けるもの・世間一切の知恵・世間一切の般若波羅密多の悟り】ですが、本来全て清浄である、自他を離れ全て平等であるということなのです。
つまり、一切の欲が清浄である・一切の怒りは清浄である・一切の愚かさは清浄である・一切の罪は清浄である・一切の法は清浄である・一切の生きとし生けるものは清浄である・一切の知恵は清浄である・一切の般若波羅密多の悟り清浄であるというのが、金剛語菩薩の悟りの境地を現しています。


〔第 五 段〕
宝生如来の悟りの境地で、聞き手は虚空蔵菩薩です。
三界(欲界・色界・無色界)で主になるためには、どうしたら良いかを説いています。
毘盧遮那から灌頂(法を授ける儀式)を受けることで、たくさんの知恵を見つけ出すことができる、般若の教えという事で、全てのものが持っている、価値や持ち味を再発見して、引っ張っていくことが三界の主であるということです。

それには四種の布施がありまして、布施とは普通は在家から僧侶に施す物で、僧侶はそれらのお返しとして法の施しをしますが、これはそうではなく、僧侶が施しをするのです。
資生施=食べ物や着る物を、畜生などに与える布施。
飢えた者に食べ物を施すことで、身・口・意が安楽を得る。

法 施=精神的なアドバイスをして導く。説く相手は天龍八部衆に対してです。
精神的に飢えている者に、正しい法を説くことで、全ての法を円満することができる。

義利施=比丘・比丘尼・沙門などの出家者に与えます。
財物の布施。お金や物を与えるわけですが、お金を貯めよう、物が欲しいと集めたものではなく、布施をされて戴いたら、それを使わずに持っていて布施をするということです。これは弘法大師の師匠である恵果和尚が行っていた事だそうです。

灌頂施=心の眼を開く布施。全てのものに価値を見出し、引っ張って行くことで、三界の主を得る。
一番最高の布施。

本当の価値は、人々が持っている無限の価値なのに、何故それに目覚めないのかと、一切の灌頂を与えて悟りに到らせるような真言を説きました。


〔第 六 段〕
不空成就如来の悟りで、世尊が人々の行動を正しく導こうとし、智印如来の姿になました。
人々が智印如来の心を自らの心とし、行動するなら身・口・意の活動が人間の完成に導き、より良い世界になり、そのまま如来の働きとなっているという事です。

より良い世界を創り出般若の教えの四種の印を示した。
1.身の印  自分の事は考えずに、骨身を惜しまず世の為、人のために働き続けることで、一切如来の体となることが出来る。自分は仏の体であることに気付く。

2.語の印  大慈の鎧を身に付け、絶対に壊れることのない体となり、正しい道に人を導くこと。
人は真実を語るとき、心は澄み渡り誠実な心となって人を動かし、人々は円満になる。一切如来の法を得ることができる。

3.心の印  悪業をなす悪者に大悲の心でもって、怒りの相を示しても叱り付けても正しい教えに導く。一切如来の悟りの境地が得られる。

4.金剛の印  体・言葉・心が一体となって、自在に活動をする。
口だけで実行が伴わないのはなく、心がこもり、言葉を整え、体もそれに伴うようになる働きによって、人々を救う。

功徳は、理趣経受け持ち、読誦し、心を作り、考え、お経の趣旨に近づけるように努力をするならば、そのまま無上の悟りが得られる。

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